1999.11.21

高松山

高松山の紹介

丹沢大山国定公園の南側のはずれに位置しており、小田原からチョット入った足柄上郡山北町にある。 ’99年の夏の豪雨により多くの人災を出してしまった、あの丹沢湖のすぐ南側である。 尾根の線上には鍋割山、塔ノ岳、丹沢山と連なっている。
標高801Mで登山道も良く、初心者向き

私のコース

小田急線の新松田より、御殿場線で東山北まで電車で、久里から久里川沿いに入り、民家が切れるあたりで左の尾根道に登り、ビリ堂を経て山頂まで、
帰りは久里峠に下り久里川沿いに久里に出て、国道沿いに山北駅まで。

時間
国道246の分岐点から高松山の山頂まで 1時間45分
山頂より久里峠を経て国道246まで   2時間
久里より山北駅まで            20分
このコースは初級コース

徒然なるままに

11月21日 快晴 今回は紅葉狩りのつもりである。
今年で小田急沿線の日帰りコースは一通り登った事にして、終わりにする。
今回は、弁当顛末記になってしまった。
日曜の朝、チョット早めに起き、家族はまだ寝ている、一人で食事をすまし、準備を整え出かける。
私は炊事は苦手で殆どやらない。亭主道楽の為にたまの日曜日に妻を起こし、弁当作らせる気にもならず、いつも駅弁である。
時々レジャー用品売場で登山用のガス器具を考えるが、いつも一人だし、なかなか買う気にもならず。
日曜日の早朝の小田急線はすいていた。
窓からの風景はすっかり紅葉しており、線路脇の銀杏の葉の見事な黄色が綺麗である、落ち葉を掃き焼いている煙に一句。

朝もやに 煙たなびく 落ち葉焼き

新松田駅で一旦出て、今度は御殿場線の松田駅より乗り換えるが、単線で1時間に1~2本程度で約40分程度待たされる。
隣の駅までで約3Kmで歩いても、同じ位の時間であろう。東山北駅は無人駅で車掌さんが下車客の切符を集めていた大勢の高校生らしい制服の少年少女達もおり、中にはキセルの為か、ホームの柵を越えて降りている者もいた。
車掌はあえて追っかけたりはしなかった。それでも彼らの対応には釣り銭やらで可成り時間が掛かっている様子であった。
これで単線で時間通りに運行出来るのであろうか?
ホームを出て、気が付いたのだが周りに商店らしき建物が一つもない、さて弁当は?
駅近くの建物すら、まばらで、それでも路地の隙間から隣の通りにジュース等の自動販売機が見えた。もしかして商店があるかも、行って見たが、営業しているのかどうか解らない、日用雑貨店があったが、食品は全くない。
すこし近所をうろうろしてみたが、あきらめるしかないか。
国道沿いに、久里に向かって歩き始めたばかりの所で、信号待ちの地元の人らしい軽自動車に出会ったので、念のために、「この辺に弁当を売っている所は有りませんか?」と尋ねてみた。
「商店では無いが、食堂がその先に1件あるよ。」と聞き込んだ、彼の指さした方面にチョット歩くと、比較的新しい、日本食と思える、食堂が一軒あった。
入り口には、「仕出し弁当承ります。」の旗が立っており、もしかするとと思い、「ごめん下さい。」「ハーイ」「すみません、弁当有りますか?」「まだ、飯が炊けてないので、駄目だよ」残念であった。
これで、東山北駅周辺はキッパリと諦め久里に向かった。
久里に近ずくと、旧道とバイパスに分かれていて、バイパスの方を少し進むと旧道の方になにやら、商店の看板らしい物が見え、チョット先より、旧道に降りる道から、回った。
旧道は民家が並んでおり地酒の工場、郵便局、商店もあったが、弁当を売っていそうな店は無かった。
一応郵便局に聞いてみたが、この辺では弁当を売っているところは無いとのこと、ガッカリ。
そこを出たとたん、天の恵み、工場や事務所等に弁当を配達している、弁当屋さんの軽自動車が、隣の地酒の工場に止まった。
配達のおばさん、いや未だお姉さんかも、「すみません、弁当一つ売って下さい。」「内の弁当は重箱入りだから売るわけには行きませんよ。」私の登山の格好の様子をみて、「どこまで行くの?」「そこの高松山まで」何となく言葉を交わしている内に、私が気の毒になってきたのか「余分に有るから、又この辺を通るのであれば、売ってもいいよ。」重箱は郵便局の入り口の立て看板の下に置いておく事で、話がついた。
値段も600円程度だったか?しかし私が小銭が無く、千円札にお釣りが無かった、「千円で良いですので取っておいて下さい。」と行ったがお姉さんは、郵便局で両替してもらったが、郵便局でも(郵便局と行っても、切手等を取り扱うだけのようである。)小銭が無く裏の自宅に取りに行ってくれたそうである。
そこに工場の人がやってきて、弁当のお姉さんが事情を話、釣り銭が足りない分をその工場のお兄さんに立て替えて頂き、お姉さんは配達に先を急いだ。
私は比較的大きい、その弁当をリックに入れようとするが、「ひっくり返すと、煮汁が出るから気を付けてね」を思い出す。
リックは小さいので水平に入れることが出来ず、少し斜めになるが、まあいいか?
これで、いざ出発!
国道からの分岐点の登山口までは、すぐだったが既に、10時50分であった。 久里川沿いの民家の間を抜け、東名高速のガード下を過ぎるとすぐに山間部の農村の雰囲気になり、なだらかな山の斜面にはミカン畑広がっていた。
どうも、さっきからリックの弁当の煮汁が気になり、開けて見るとやはり少し煮汁が漏れていた。
簡易型のヤッケに包んで他の衣類に被害が無いようにした。このヤッケはいっも食事のとき等に敷物にしたりして、汚れても良いのである。
これで一安心して先程のミカン畑の中の道路を横切り、丁度収穫前らしく黄色く色ずいていたが、消毒の為か白色の液体をかけた後が全部のミカンの木に付いていた。こんなにも、消毒しないと、いけないのか?
多分、この程度の消毒は必要で有ろう。私も農家生まれ、子供の頃両親が良く、畑の作物を消毒していたのを思い出す。また、私も今年自分地の庭でケール,キャベツの原種で例の「青汁」の原料であるケールを栽培してみた。
最初の頃すぐに紋白蝶のがやってきて、卵を産み付け、おそらく1~2週間程度であろうか、すぐに青虫になり、まだ小さいケールの苗を食い荒らす。
最初の頃は丹念に手で取っていたが、よくよく見ないと、見逃す、0.3ミリから0.5ミリ程度の卵でケールの葉を良く見ている内に、うっかり折ったりする。
後では網をかぶせたが、作物を作ると言うことは、害虫との戦いである。
無農薬やら、減農薬野菜の言葉が氾濫している。このミカンにはガッカリであるが、自分の農作物の経験からは理解できるが何か引っかかる物がある。
ミカン畑の上からの下の農家まで、ミカンの荷下ろしようと思われるケーブルがあった。
ミカン畑を過ぎた頃、小用をもよおし、道ばたに用をたしているてふと横を見ると一匹の蛇が、じっと私を見ていた、おそらくマムシである。
子供の時分、山育ちだからマムシはよくみかけた、父の手伝いで山仕事に一緒に行ったとき、マムシを捕らえた事も数回ある。私の田舎では、マムシは薬と言うか、大事な栄養素というか、その様な感じであった。
細い竹の先を割、マムシの頭をそこに挟み込んで捕らえる。皮をはぎ、竹の串刺しにして、火あぶりにして、天井近くの柱の隙間に差しておき、時折、少しずつ食べる。
「マムシドリンク」とか「マムシ酒」とか有るので、栄養は豊富だろう?
このマムシ私の田舎でなくてよかったな!
国道から約30分位で林道の終点、ここからは山道になるが、ゆるやかな勾配がダラダラと続き、途中標高638Mの丘を右にからむと、すぐにビリ堂に着く、地図上にビリ堂とあるので、一応のお堂の建物位有るかなと思っていたが、お地蔵様が二対あった。その前に小銭が供えてある。
周りの樹木は、杉や檜の植樹林ばかりで、紅葉を期待して来たのだが全くない。
植樹の樹木も間伐の程度が少なく、育ちの遅い樹木は周りの樹木の陰になり、日当たりが無く、枯れている物もある。しかし枝落としの手入れは行き届いていた。
ビリ堂から先は急に勾配がきつくなり、15名位の中高年のグループが休息を取っていた、皆なかなかの山男振りで、登山歴を知らされる。
急勾配もチョットだけで、高松山の山頂の左手の尾根に出る、後はほぼ平坦ですぐに山頂であった。
山頂も平坦すぎて、あまり景観は良くない、一応山頂の周りだけは、樹木は無いが、ススキが背が高く邪魔をしている。ここでも紅葉は無く、少しは雑木林も有るが、橙色や灰色の落葉樹ばかりで、赤や黄色の物が無く、全く映えない。やはり紅葉にはモミジがないと、どうにも。
山頂では家族連れ、中高年の少数のグループで賑わっていた。夫婦と少学低学年の少女の二人ずれの姉妹のやり取りも楽しませてくれた。ススキの穂を取り穂の先の白いふさふさの種をとばしたり、二人で走り回り、ふざけたりで、下の子の方が要領良い甘えん坊さんであった。
私が陣取ったすぐ横では父親と小学4~5年生位の二人ずれが食事をしていた。
私の子供もそのころまでは、時々私に付き合ってくれたが、6年生になると、もういやがって、付き合ってくれることは無くなった。
汗に少し濡れた下着を林の中で着替えて、さあ食事、やっと手に入れた、弁当おいしかった。
天候は真っ青の秋空で、澄み切っていた。日当たりの良い、山頂の草むらでごろりと、つい昼寝をして、山頂で約1時間程つぶした。
帰りは久里峠を経てもとの久里に出る、登りにチョットかかとに靴ずれを起こしたらしく、少し痛い。この靴はある程度はきならし、最近は靴擦れはできていなかったのだが、買った最初の頃は靴擦れを起こしていたが、登山用品店で何か探して、きちっと対策を施す必要が有るようだ。
犬の遠吠えが聞こえている、久里峠をすぎると少しばかりの民家があり、道ばたで、ミカン、栗等を売っていた、老婆と少女がいた。子供に声を掛けられたが、笑って通り過ぎた。
足の靴擦れが先程より痛くなり、自然に遅くなり、先程の親子の二人ずれに軽く追い越された。
沢沿いの林道に出ると、先程の犬の声は近くになり、時折激しくなった。それが猟犬と解ったのは、鉄砲らしい、ケースを背負い猟師らしいユニフォームのおじさんを2、3人見かけ逃げている猟犬を追っかけていた。
彼らのチョット先には「この地域は狩猟禁止」立て札立っていた。久里の農村地域では先程の猟師のユニフォームの同じ服装の人が鉄砲ケースを持ち猟犬をつれていた、どうやら地元の農家の人々らしい、犬の訓練だけであれば良いのだが?
国道に出ると先程私を越して行った、親子ずれがバス停でバス待ちをしていた。
私は最初から帰りは山北駅まで歩く予定であったので、バスの時間も気にせずに、山北駅に向かった。
途中、空の重箱を約束の郵便局の看板の下に置き、既に3時50分山間部のこの季節の日暮れは早く既に太陽は山陰で日暮れである。国道の出口より山北駅まで20分を要した。
電車との時間は今回は非常にタイミング良くまもなく乗車出来た。先程の親子ずれはまだであった。
今年山の登り納めであった。


今日の一句

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山本 日記帳

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